企業には採用の自由があります。しかし、この自由には大きな責任を伴います。

2024/05/08|1,437文字

 

<職業選択の自由>

日本国憲法第22条第1項は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と規定し、職業選択の自由を保障しています。

職業を選択することは、生存権(同第25条)の確保にも必要ですし、社会とどのように関わり成長していくかという自己実現にとっても重要ですから、幸福追求権(同第13条)にも不可欠です。

条文の中の「公共の福祉に反しない限り」というのは、日本国憲法に何か所か出てくる言葉ですが、「他人の人権を不当に侵害しない限り」という意味です。

 

<企業の採用の自由の根拠>

このように、日本国憲法は職業選択の自由を、基本的人権の一つとして保障しています。

しかしもし仮に、「1つの企業で1年間に採用できるのは5人まで」あるいは「大学卒業後3年未満の者は採用できない」のように、企業の採用の自由が制限されていたとするならば、職業選択の自由も大きく制限されてしまいます。

このように企業の採用の自由は、職業選択の自由と表裏一体のものですから、十分に保障されなければなりません。

 

<解雇は自由ではない>

企業の採用の自由が保障されている一方で、解雇は自由ではありません。

労働契約の締結は、労使の合意によって自由に行える反面、使用者側からの一方的な意思表示による労働契約の解除は、実質的に大きく制限されています。

労働契約法第16条は、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」と規定しています。

この規定で重要なのは、「客観的に」「社会通念上」というキーワードです。

使用者側が解雇の合理的な理由があると判断し、労働者側がないと判断するのは、どちらも客観的な判断ではなく、主観的な判断に過ぎません。

同様に、使用者側が解雇は相当であると判断し、労働者側が相当でないと判断するのも、やはり主観的なものであって、必ずしも世間一般の判断に一致しているとはいえません。

結局のところ、どちらも裁判所の判断である判例・裁判例を参考にして、客観的に判定するしかありません。

 

<解雇が制限される理由>

採用した労働者について、解雇が制限されるのには理由があります。

企業が労働者を採用するには、面接だけでなく、適性検査など筆記試験を実施することもできますし、たとえば事務職であれば、一定のパソコン操作をさせてみて、業務の遂行に必要な技能を備えていることを確認することもできます。

こうしたことを省略して採用したのであれば、採用した企業側の自己責任ということになります。

また、企業には労働者を教育・指導する権限がありますし、安全教育や業務の遂行に必要な技能の習得については、企業が実施責任を負っています。

こうして、企業から見て労働者に知識・技能の不足がある場合には、解雇を考えるのではなく、まずは成長を促す努力が求められることになります。

 

<実務の視点から>

以上のことから、企業が新人を採用するにあたっては、人材要件を明確にして、精度の高い採用選考を行うよう努めるべきです。

そして、採用選考で見極めきれなかった知識・技能の不足については、企業側が責任をもって指導にあたることになります。

労働者側が、これを受け入れないなど消極的な態度を示したり、成長がほとんど見られなかったりする場合には、やむを得ず解雇を検討することになります。

企業には、採用の自由が認められるものの、これには大きな責任を伴うということです。

PAGE TOP